新築のきっかけ |
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小さい頃から金融好きで、高校生の頃には株を始めていた。バブルの波にも乗り、結構儲けた。といっても所詮は高校生の手持ちなので、数百万円がいいところ。でも大学を卒業する頃にはバブルとともに持ち金も泡と消えた。そして株への思いは封印された。 早速家に帰るなり、「このお金、遊ばせておくのはもったいないからオレに預けてくれ」とお願いした。が、すんなりOKが出るわけがない。数日間に及ぶ説得の結果、100万円は両親にプレゼントし、100万円だけは好きにしていいというお許しが出た。ただし貸付という条件で。最初の頃は、かみさんの機嫌をとるため、株主優待の権利取りをし、ディズニーランドのチケットやら商品券やらをもらって株への理解を求めた。しかし、株をギャンブルとしか見ないかみさんには効果がなく、相変わらず株をやることに良い顔はしなかった。 高校生の頃とは違い、信用口座も開けるし、ネットでデイトレモできる。夢中になるととことんやってしまう性格に火が着いた。100万円を元手に1年程で手持ちを500万円にした。ここで止めれば400万円の儲け。まともに働いたら400万円稼ぐのは結構大変だ。しかし、止められるはずがない。 あれは忘れもしない。2005年6月凶日、上海出張のため成田空港の出発ロビー。これから3日間ほど株ができないから安い株を買っておこうと思い、携帯で発注。よせばいいのに信用枠一杯の二階建(現物、信用とも同じ銘柄を買うこと)。翌日、初日の仕事を終え、ホテルからネットで株価を確認。血の気が引いた。その日は値が付いていなかった。出発日の引け後、業績の大幅下方修正があり、売りが殺到。ストップ安だった。全力買いしていたため、この時点で追証になり、現物を売らなければならない。しかしストップ安で値が付かず、売るに売れない。翌日も値が付かなかったどうしようと不安が過ぎる。 二日目の昼、恐る恐る株価を見る。今日もストップ安で値が付いていない。計算する気にもならないが、元本を大きく下回っているのは確実。生きた心地がしないまま仕事を続け、ホテルに戻る。損失を計算すると、ざっと300万円は穴があいている。損失ではなく、穴である。手持ち500万円がなくなり、300万円足らないのである。異国の地で金策に走るわけにもいかず、株嫌いのかみさんには口が裂けても言えない。しかたなく実家に国際電話をかけた。 3人男兄弟の3男坊で、比較的自由に育てられた。高校生の時、学校近くの食堂で、ビールを飲んでタバコを吸っていたところを先生に見つかり、お袋が学校に呼び出されたことがあった。その時、帰りにお袋が言った。「上野の牡丹を見に来たかったからちょうどよかった・・・」。私の悪行をまったくとがめないお袋と一緒に牡丹を見て帰った。昔から親不孝なバカ息子である。 さて、話しが横に逸れてしまったが、国際電話で話した内容は短かった。「株が下がって追証になった。500万円貸して欲しい。明日中にこの口座に入金してほしい」。まるで振り込めサギのようだ。お袋は「500万円で足りるのか?」とだけ聞き直し、「なんとかなる」と答えると、「気を付けて帰って来なさい」と普通に言った。目頭が熱くなった。500万円は大金である。お袋にとっても余剰資金ではなく、老後のために積み立てたなけなしの金である。その大切なお金を、深く事情も聞かず電話一本で用立ててくれた。振り込めサギが流行るのもうなずける。 帰国後、残金を整理し、100万円だけ手元に残った。実質500万円の借金になったのだ。株から足を洗い、地道に返済しようかとも考えた。しかし、ここでやめたら負けになる。以前株で儲けた金を株で失った。ならば株で損した金は株で取り戻さねばという闘志が沸いてきた。残った100万円を元手に再び戦いが始まった。
神様は私を見放していなかった。2005年6月から9月までの3ヶ月間、捨て身の戦いで連戦連勝。100万円は1,000万円に増えていた。この間の出来事だけで株の本が一冊書けそうであるが、本題は家造りなので詳細は割愛する。9月にお袋に借りた500万円を返し、残ったお金を元手にさらに儲け、12月には手元に1,200万円ほどあった。100万円の資金を半年で実に17倍に増やしたことになる。当然さらに儲けたいという気持ちもあったが、株で儲けた金は株で失う羽目になることは身をもって体験しているので、今度ばかりはやめることにした。数週間禁断症状はあったものの、今では日経平均も為替相場も原油価格もまったく気にならなくなった。
「新築のきっかけ」
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